プロフィール

ピンクのドレスを着た歌手 芦京子。 Singer kyoko Ashi wearing a pink dress.
歌手 芦京子 Japanese singer Kyoko Ashi 

 芦 京子(あし きょうこ)本名 足立 皎子(あだち きょうこ)東京都出身 国立音楽大学声楽科卒業。学生時代はイタリアオペラのアリアを得意とし、後にシャンソンとカンツォーネも学ぶ。
 
 20歳のとき、ラジオの公開放送歌番組でテーマソングを歌いデビュー。また、在日米軍府中ベースの教会でカルテットのソプラノを担当。初見の楽譜を英語で歌うことが要求される現場で仲間が次々と辞めさせられていく中、最後まで残れたことが自信となり、その後の仕事へとつながる。

 大学三年生のとき、ダブルカルテット「コール・アカシア」を結成、リーダーとなる。その実力が認められ、数々の人気歌番組にレギュラー出演。多くのスターと共演する。

 結婚後、一旦芸能界を引退するが、10年間のブランクを経て歌手活動を再開。日本各地でリサイタルを行う一方、一流ホテルのディナーショーや音楽祭などに定期的に出演。また、ラジオパーソナリティーを務めるなど幅広く活躍する。

 海外では1979年にインドのマドラス(現チェンナイ)において、8月と12月にそれぞれ在マドラス日本総領事館とマドラス音楽協会の主催によりリサイタルを行う。また、1980年の始めにインド国営ラジオ(All India Radio)マドラス局よりラジオリサイタルが放送される。

 日中国交回復15周年にあたる1987年、芦の歌声を気に入った遠藤実氏(中国で人気の「北国の春」の作曲者)からの要望を受け、「再見杭州(ツァイチェンこうしゅう)」(遠藤実作詞作曲)をキングレコードよりリリース。

 11月、中国政府の招きにより北京と杭州でリサイタルを行う。間もなく「再見杭州」は中国で大ヒットとなり、芦 京子の名は「ルー・ジンズ―(芦京子の中国語読み)」として中国全土で親しまれるようになる。

 翌年の1988年に日中平和友好条約締結10周年の記念行事として、北京民族文化宮にて中央歌舞団と共演。以降、1992年までの5年間、中央歌舞団はもちろん、各地を代表する歌舞団と共演を重ねることになる。

 国は違っても音楽を愛する仲間同士、一つのステージを共に作り上げる喜びはたとえ難く、この感動を分かち合う中国のファンからも絶大な支持を受ける。「音楽は平和の象徴」であることを理解する人々から芦はいつしか「日中友好の使者」と呼ばれるように。

 1988年、「再見杭州」により、杭州市から外国人としては初めて杭州市文化芸術祭の「特別賞」を贈られる。また、翌年には「你好寧波(ニーハオにんぼう)」(いではく作詞・遠藤実作曲)により、第二回青年文化芸術祭(寧波市)にて「特別賞」を受賞する。その他、受賞多数。これまで多くの特集番組、および特別番組が作られ、中国全土で放送されている。

 1993年に体調を崩して音楽活動を休止。

 なお、 中国の方々に対する感謝から、中国国内でのコンサートの収益はすべて中国に寄付している。

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